昔、顔の鼻の下のとこにある傷が手術によって消えると思っていた。思い込んでいた時期がある。中学生の頃だ。中3の高校生にあがる前、受験が終わって入院した。ここまで書いて読み返す。かわいそうな風だったら嫌だな。大変だけど、不幸じゃないよ。悲しいだけの話じゃないよ。もちろん悲しかったときもあります。でも、それはなんかちがうのよ。
鼻の傷はメスの進化(電気メスっていう新しいメスを使う。)によって、目立たなくはなるけど消えることはない。それを知った中学生のわたしはこの先どうやって生きていけばいいんだろうって途方にくれた。せっかく若いのに。
…昔の自分の言い分はわかる。💧あやしたい昔の自分を。
でも大丈夫だった。生きてこれた。
そのうち、実は大して気にしてない自分にも気づくよ。問題の本質は傷のことじゃないって。自分と自分以外の人とのすれ違いや摩擦、自分以外は本当に他人っていうか。ずばりコレとはまだ言えないんだけど。
小さい頃から自分がいちご状血管腫(赤いあざができる、いちごのようにふくれて赤い。)というのは理解していた。わたしの運命なんだって思った。
学生だから夏休みや冬休みの長期の休みのタイミングに合わせて形成外科で手術を受けた。
大人になったので手術を受けさせてもらったって思える。当たり前だけど手術にはお金が必要だからです。(※大人になれと言われるのが嫌だが、上からの目線で言われる 大人 は区別してある。)
赤ちゃんのときに血管腫をとって、それから大人(社会人)になるまでに、できる範囲の手術をしてきれいな状態にしていきましょうという計画を病院の先生と話して立てていたので入院は自然な流れだった。夏休みは冬休みはときどき入院をするのがわたしなんです、えっへんって感じ。けっこう誇らしげ。
手術をすると今よりすこしかっこいいかたちになれるので、手術を受けられることを楽しみにしていた。入院中、同じ部屋(病室)になったみなさんも病気(病気とは限らないかもしれないが)があって入院しているのでなんとなくだけど、たしかにお互いを思いやっている空気があって、癒されていた。意地悪言う人なんかいない。守られてる空間で楽しく過ごしていた。一人で過ごす遊びが好きなので入院はパラダイスであった。本読む、雑誌読む、日記書く、テレビみる、8階の病室からぼんやりと眺めを見る…。が遊び。
自分の手術跡が自分自身で嫌なのか、人に意地悪く言われることが耐えられないから嫌なのか、を長い間、混同していた。
べつにとくになんとも思ってなくても、思春期くらいになってからは他者の悪意や雑音に完全にやられちゃった。心を殺される。ここ数年でもともとの自分がでてきて、歪みを見直している。うまく言えない。ずっと葛藤してる中で守ってきたものが芽を出した。ちょっとかっこつけすぎか🌱
見慣れてるから傷はふつう。気づいたらそうだった。なんともない。傷ひとつないぴかぴかな肌も美しい。なれないから眩しくもある。でも、無いとは有ることだって知っている。ないことは手にしてるって気づいた。欲が深いから生きれる。メラメラと燃えるよそりゃあ。😸🔥本当にみじめな思いをして飢えているから。自分だけのなにかとか、唯一無二っていう言葉を知ってからは私はそっちになりたいなぁと憧れた。
だからね自分が自分だから尊いんだと何度も何度も書く。ななえよ、信じてください。あなた(じぶん)は体調に波があるから、言いますよ、今。とにかくやめないで。続けてね。
わたしにとって、アイドルとはなにを指すか。
生きているだけでよろこばれてるひと。
自分みたいな人間を必要とする人もいるんじゃないかなぁって思った。予感っていうとあてもないけどそんな気がする。そんな気がしないと生きていけない。
誰にも似てない人たちが誰にも似てないまま生きていけますように。自分が自分でよかったって心から思えて命をまっとうしてから死んでいきますように。自分が自分を選んだ自覚はないんだけど、望んでないのにかわいそうとか言われたことが許せない。だって嫌だ。かわいそうがられたい命なんて生まれるの?わたしは勝手に人をあわれまないように生きます。喧嘩腰でごめんなさい。よけいなお世話だけど書きます。思いやりはむずかしい。時を超えて、あのひとのあれはとても優しかったな…って見えてくるときもあるから今怒ってること傷ついてることも未来にどう感じるかわからない。
また書きます。_φ( ̄ー ̄# )