きのうのつづきです。
自分のずっと変わらないところを知りたくて子ども時代のことを書いて模索しているよ。
記憶の探検なのである。😸🐟
まわりが見えていないかもしれませんが、こつこつ書きました。自分による自分の心の考察です。どうぞ読んでください。
つづき。
きっと自分ではどうすることもできない運命とか宿命されるものを流されるまま悲観して、
ひとの恵まれた一面をひがんだり妬んだりしたら本当にやっていけなかったと思う。
わたしは自分を好きでいたかったんだと思う。妬まないような発想はなんだろうかと自分なりに知恵をつけた。まぶしく見える人の背景を知ればいい面だけ見てうらやましがらずに済む…いや、ちがう、う〜ん、すごくいいなぁと思うんだよな。思いたくはないよ。💧えっ自分は?って内なる自分が言ってきて悲しくなるから。自分はこっちの路線だからと踏ん張る。律していた。思うんだけど、心が綺麗というように評される行動は天然の場合もあるしストイックに内面を調律している様子なんじゃないか。脱線した。
やせ我慢かっこつけの意地で世にいう美人じゃなくても美しくいよう可愛くありたいと渇望した。かわいいものや美しいものに無条件に心ときめくから。悲しいことや悔しいことを自分の中で宝石のように扱って、これが財産なんだって思って、現実を生きるしかなかった。宝石だ、なんて言って夢みたいな考え方がわたしを生きさせた。だから不思議そうに見られることもある。知ってる。現実に役に立たないだろうとされるものかわいい優しい美しい世界が心にある。それがわたしの中にいる子どもの心だから大人になれと言われるとその子どもが怒る。泣く。なんで!居るよ!なんで居なくなんなきゃなんないの!と。生き延びた子どもがやがて大人として扱われ生きていく。成熟した人は素敵だから、わたしもなりたい。だけど自分の子どもの心にずっと気づいていたい。空想じゃなくて生きていくときに必要なんだよな。お酒は体質に合わないから飲まないしギャンブルもしないよ。煙草だけは、ロマンを感じてチャレンジしたけど向いてないからすぐやめたよ。本や音楽やキャラクターや映画や子ども番組やアイドルや歌手や芸能人やぬいぐるみを相棒にしたっていいじゃないか。😸
こちらは小さい頃の入院生活の写真です。
人生二度めの手術前夜だそうよ。
我ながら立派にがんばってるわね😸
おしまいです。
長いのに読んでくれてありがとう。
また書きます。_φ(・_・#