私は、自分では自分の手術痕になにも思ってない。
(久しぶりのブログ。読んでる人、おはよう。こんにちは。こんばんは😸)
手術したから手術の跡あるね、そうだよね、という風な感じです。
わりと色んな人に「ななえちゃんは手術痕のことを気にしてる(気にしてた)ね。」
と言われることに違和感を覚えてて、その理由がわかってきたから書く。
気にしてるのは、第三者だと思うんだよね。
実は、私じゃない。
何か理由をつけられて差別されたり、いじめられたくないとは思ってる。哀れまれたくもないな。
いじめや差別(本人が傷ついる時点でそう)、品定めをする
勝手に基準を作られて、いい悪いのジャッジされる
そういった経験を何度もする(これらは誰でもあると思います)
↓
自分がただそこに居るだけで侮辱されたことがあったり、
普通じゃないと笑われたり勝手に哀れまれたら傷つくのって当たり前。
傷ついた側の捉え方の問題という扱いをするのちがうと思う。まず間違ってることを言う方の問題がある。誤解をしていたり、偏見を持ってる。人に対して愛がないなーと思う。人に対してリスペクトがない。最低限の。
酷いことを言われたとき、自分がどう捉えてどうしたいかを考えられる姿勢は偉いけれど、何でも自分で背負わなくてよくない!?いいんだよ。😭🥲。自分の引き受ける量が多すぎる。相手がどう思うかは自由であるが、思ったとして、それを口に出す!?!?と私は思うけどね。
その上で再建手術を受けたのはなぜかと書こうとしたけど、理由なんて言葉にならん。いくらでも理由は書けるがどれも無理に形にしているところがある。でもできる限り書くと、ふつうに、安心してそこにいたいだけ。これからも社会の中で生きていく自分を守るため。自分に対して出来る愛です。自分で自分を理解していようが、貶められれば傷つく。自分が傷ついた事を認めるターン。朝から自分のために怒って書いてます。読んでくれてありがとう。
😸☔️✨